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楽農楽写Z

西中国山地の風景だけを撮影する団塊男が定年後、広島県安芸太田町に休耕田付きの民家を借りて、田舎暮らしを楽しんでいます。豊かな自然を紹介しながら、地域の情報を発信します。       

集落を歩く 戸河内猪山

  集落には明治以降の戦争にまつわる石碑がある。ほかにも圃場整備や林道の完成、学校跡地を記す碑が残る。地域の歴史や住民の古里への想いが刻まれている。懸命に読み取ろうとするが、時がたち不鮮明で戦前の文章は読みづらく、消化不良になる。戸河内・猪山には日清戦争で戦死した一人の兵士の経歴などを漢文で記した碑と、よく手入れされた日露戦争の戦病死者と出征兵士の碑がある。彼らが衰退する今の故郷を見てどう思うのか、いつも言葉を失う。

5581猪山石碑206304
日清戦争で戦死した佐藤小三郎さんの碑。外地で戦死した初めての人だったのではないかと思う。家族ははもちろん、住民にとっても衝撃の大きさを物語る、詳細な経過を伝える碑文である

5575猪山石碑206303
日露戦役紀念碑。戦病死者3人、出征者9人、いずれも下級の兵士。貴重な労働力であっただろう12人の若者が山間部の集落から駆り出された

 集落から少し高い位置にあった小学校跡地は意外に広く、きれいに整備されている。2009年の真新しい小さな閉校記念碑の裏には、世帯数23、人口97、猪山自治会とだけ記されていた。悔しさがにじむ。一方、広島県知事の書による1975年の開学百年碑は堂々として、裏には歴史が刻まれ、当時の住民の誇りがうかがえ、閉校とは対照的だ。近くにある温井ダム建設に伴うスポーツ施設の周辺整備事業碑はそっけなく「記念」とだけ彫られている。

5584猪山石碑206305

5590猪山石碑206306
昭和50年(1975年)設置の開学百年碑の裏には、明治十四年(1881年)分教場開校となっていて年数が合わない。おそらくその6年前に地域が設けた学校があったのではないかと思われるが定かではない

5595猪山石碑206308
ダム周辺整備事業記念碑。ダム建設の残土を埋め立てて野球場やテニスコートが造成された。グラウンドや周辺の斜面は手入れが行き届いていた

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